映画『僕が生きている、2つの世界』を観て感じた、罪悪感・支援の意味・生きることの苦しみ。
それでも生きていくあなたへ届けたいメッセージ。
「恵まれてるのに、どうしてこんなに苦しいんだろう」
そう感じたことのある人に、ぜひ読んでほしい記事です。
吉沢亮さん主演映画『僕が生きている、2つの世界』を観て、
私の中にあった「罪悪感」や「支援の意味」について、深く向き合う時間になりました。
健常者であること、独身であること、社会的に何かを成していないと感じること。
それでも「存在していいんだ」と思いたかった。
映画の中の“ありがとう”という言葉が、私の心を変えていったように、
誰かに届くことを願って、今の思いを綴りました。
当たり前だと思っていた日常が、当たり前じゃなかった
私は健常者です。
声で話せて、音が聴こえる。相手の言葉を理解できる。
電車の中で手を使わずに会話することが普通でした。
でも――
それは「当たり前」じゃなかった。
映画『僕が生きている、2つの世界』が教えてくれたこと
吉沢亮さん主演映画。
両親の耳が聞こえないなかで、自分だけが「聞こえる」世界にいる主人公。
「お涙頂戴」ってわかっていたんです。
それでも、涙が止まりませんでした。
「どこかで障害を持つ方たちを見下しているのから泣いているのかな」
と、思っている自分がいました。
「恵まれていたのに」と、自分を責める気持ち
私はシングルマザーのもとで育ちました。
温かい家庭、十分な食事、進学もできた。
「恵まれていた」と言える環境でした。
それでも、「生まれない方がよかった」と思った夜が、幾度となくある。
そんな自分を、ずっと責め続けていました。
一番泣いた、あのシーン
主人公が東京に帰る駅で、お母さんに見送られるシーン。
子どもの頃、手話を恥ずかしいと思っていた彼が、東京に出る前、母とスーツを買いに行き、手話で話す。
そして母が、手話で話してくれたことに対して「ありがとう」と言う。
たった一言の「ありがとう」で、私は泣き崩れました。
誰でも“生きることに理由”を探してしまう
私は心のどこかでずっと思っていました。
「なんで産んだんだよ」
「生まれない方が絶対幸せだった」
誰だって、「もう無理だ」と思う夜がある。
人の苦しみの正体
私は独身で、子どももいなくて、派遣社員。
正直、自分が「支援したい」と思うことさえ、「何様なんだろう」と思うことがありました。
でも、気づいたんです。
人の苦しみは、条件では測れない。
大金持ちだから、特定のパートナーがいるから、仕事が楽しいから、家族がいるから。
だからといって、みんながみんな幸せとは限らない。
健常者で、“幸せに見える”自分でさえ、生きることがつらかった。
「偽善」でもいい。アドラー心理学が教えてくれた答え
問いが生まれました。
「自己肯定感を得るために、誰かを“支援”しているんじゃないか?」
でも、それでもいい。それでいい。
なぜなら、支援は「与える」だけじゃなく「与えられる」。
支援することで、自分が支援されている。
誰かと関わることで、自分の世界が広がる。
それは、利用でも、偽善でもなく、「人と人との力」なんです。
アドラー心理学の言葉を引用します。
『自ら始めよ』
「偽善」でもいい。「偽善」でいい。
誰かを助けながら、自分が救われてもいい。
自己満足でもいい。自己満足でいい。
それでいい。
「生まれてきた意味がわからない」あなたへ
「生まれてきたこと自体が間違いなんじゃないか」
そんなふうに思う自分を責めないでください。
あなたがその感情を抱えながら、今日まで生きてきたこと。
それ自体が、もう「すごいこと」なんです。
人は、どんなに“恵まれているように見える”環境にいても、
「存在を肯定できない」苦しさを抱えることがあります。
だから、「こんなふうに思ってはいけない」と自分を責めないでください。

コメント