「幸せになりたい!」よりも、「ちょっとやってみよう」で見つかる幸せ
「幸せになりたい!」――そう強く願えば願うほど、なぜか苦しくなっていました。
毎日のように「不幸だ」「辛い」と感じ、もがくほど抜け出せない感覚に陥っていたのです。
そんなとき、ふと目にしたのが「ボランティアは脳科学的に脳にいい」という記事。
“もし本当にそうなら、この不幸な気持ちから抜け出せるかもしれない”
そんな軽い気持ちで、植栽のボランティアに参加することにしました。
正直に言えば、立派な理由からではありません。
知人の子どもの支援活動というきっかけもありましたが、半分は「今の状況をなんとかしたい」という自分のため。
けれど、そこで待っていたのは、思いがけず訪れる小さな幸せたちでした。
ボランティアで体験した、無心で雑草を抜く心地よさ
活動中は、ただひたすら草を抜いて、土をならして、木を植える。
シンプルな作業に集中していると、だんだん頭の中の「不幸だ」という声が小さくなっていくのを感じました。
木の香りは特に忘れられません。
風にのって広がる青々しい香りを胸いっぱいに吸い込むと、それだけで心がスッと軽くなりました。
雑草を引き抜いたときの“スポッ”という感覚も、なぜか気持ちよくて。気づけば無心で草を抜いている自分がいました。
とはいえ、いつも集中できるわけではありません。
作業をしながら後悔や不安など、いろんな負の念が湧き出てくることもあります。
どうしようもないな、と思いながらも、そのうち「不幸だ」と考え続けるのがしんどくなって、考えるのを止める瞬間がある。
それでもしんどさが消えないときは、同じボランティア仲間であり、人生の大先輩に相談することもあります。
そんなときにかけてもらえる言葉に、勇気づけられている自分がいるのです。
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ボランティアで得た、人との出会いという副産物
さらに大きな副産物がありました。それは、人との出会いです。
このボランティアには、小学生から80代まで幅広い世代が参加していました。
ある日、小学生の子が80代のリーダーに、草木や虫について次々と質問していたんです。
「この虫は何?」「この草はどうしてこう生えるの?」――そんなやり取りが本当にほほえましくて。
どんな質問にも楽しそうに答えるリーダーの姿に、私は思わず尊敬の念を抱きました。
一方的に教えるのではなく、お互いに学び合い、笑い合う姿に心がほっこり温まりました。
私自身も、参加を重ねる中でいろんな「お得情報」を知ったり、自然と行動範囲が広がったりしました。
気づけば、小学生からお年寄りまで、普段の生活では絶対に出会えない人たちと笑い合っている。
私の悩みを聞いてもらうこともあれば、人の話に耳を傾けて励まされることもある。
「ここに居ていいんだ」と思える場所ができたことが、心から嬉しい副産物でした。
幸せは追い求めるものではなく、訪れるもの
エリック・ホッファーの言葉に「幸せを追い求めると不幸になる」というものがあります。
私は長い間、「幸せになりたい」と強く願うほど、不幸感が大きくなっていくのを感じていました。
けれど、ボランティアを通して気づいたのは、
幸せは「目指すゴール」ではなく、夢中で行動しているときにふと訪れるものだということ。
木の香りに癒された瞬間。
雑草を抜き取る爽快感。
世代を超えたやり取りを目の前で見て心が温まったこと。
大先輩からの励ましに勇気づけられたこと。
そして、人とのつながりの中で「ここに居場所がある」と思えたこと。
どれも、追い求めて手に入れたものではなく、思いがけず訪れた“副産物”でした。
まとめ
私は今でも「幸せになりたい!」と心のどこかで追い求めてしまいます。
でも、あの日の体験を思い出すと、幸せは結果としてついてくるものなんだと気づかされます。
完璧な理由や立派な動機がなくてもいい。
「ちょっとやってみようかな」と動いた先に、思いがけない幸せは待っている。
植栽ボランティアは、そのことを私に教えてくれました。
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